選挙と本名
東京都知事選は、多種多様な人がいて、本来の政治的な問題とは別のことでも話題になっているが、その光景には時代の終末的な空気さえ感じる。届いた候補者が載っている新聞のような紙も、いつにも増して賑やかだった。将来的には、この時代、こんな風に壊れていったのだという歴史的な一ページにもなるのかもしれない。
また、同時に、選挙が民意を反映するものであるならば、10人に1人くらいは、めちゃくちゃなことが好きな人もいるだろうし、仮に投票率が100%になるとしたら、別にみんながみんな政治にちゃんと興味を持って、礼節を重んじ、自分の意見がしっかりある人というわけでもなく、ぶっ飛んだものが好きな人、壊れていく世界を求めている人、そういった人たちも含めての100%になるのではないかと思う。だから、そういう意味では、壊れていく世界のなかで、枠から外れるような候補者もいる、というのは、ある意味では現実の反映なのかもしれない。
もう全部どうでもいい、死にたいという人が増えていく社会なら(そんな社会は、そもそも社会のほうがおかしいが)、たとえば、全部どうでもいい、ぶっ壊してやる、という候補者が増えてきたり上位を取ったとしても、民主主義と言えばそうなのかもしれないし、そんなことなら、いつも冷静で賢い決まった人たちだけが政治をやったほうがいい、という人もいるかもしれない。何が「正しい」とされるのか、時代は今後も巡るのだろう。
ところで、選挙ポスターを見ていたら、明らかに本名ではない人がいた。作家や漫画家がペンネームを使って執筆活動をすること、あるいは芸能人が芸名を使って芸能活動をすることなど、本名を出さないというのは、主に表現活動ではよく見られるが、選挙でも、本名を出さなくてもいい、というルールがあるのだろうか。
調べてみると、立候補の届け出自体は本名でなければいけないものの、「通称認定申請書」を提出し、その通称が一般的に浸透しているものだと認められれば、選挙に関しては、本名でなくても通称の使用が許されるようだ。
通称を使いたい候補者は、立候補届け出の際に「通称認定申請書」を合わせて提出します。しかし申請すれば無条件で認められるわけではありません。本名ではない名前を通称として使用できるのは「その通称が本名に代わり広く通用している」ことが必要です。ですから候補者は、使いたい呼称が世の中に広く通用していることを資料などを使って証明しなければなりません。ちなみに、私たちが投票する際は、通称でも本名でも、その候補と特定できるときは有効票になります。
なんだか不思議な気もする。そのうち、本名じゃない人だらけになったりもするんだろうか。