思考メモ

不登校の大学受験の勉強法

不登校の大学受験の勉強法

大学受験の体験談

十代の半ば頃から数年のあいだ、僕はいわゆる「不登校」の学生だった。

中学の後半から保健室登校や遅刻早退を繰り返し、やがて不登校になり、高校もほんの少し通ったものの、やはり駄目だということから中退した(その後、通信制の高校に入った)。

それからは、ほとんどひきこもりのように、自分の部屋で荒んだような生活をしていた時期もあった。

その後、ひょんなことから、大学受験を目指し、受験勉強を開始、無事に希望の大学の一つに合格。大学進学をきっかけに、周りの環境や自分の心境など、色々なことが変わっていった。

この記事では、不登校から大学受験を決断したときの体験談を交えつつ、合格まで辿り着くことのできた勉強法「頑張らない勉強法」について紹介したいと思う。

不登校時代

先ほども触れたように、僕が学校に行けなくなったのは中学生の頃だった。

中学二年の夏休み明けから保健室登校が増え、次第に学校を休みがちになり、三年生の夏以降は、ほとんど不登校に近い状態になった。

しばらくは、「絶対に学校に行かなくてはいけない」という固定観念に、自分自身もがんじがらめになりながら、しがみつくように保健室登校を続けた。

でも、あるときぷちんと緊張の糸が切れ、以来、学校に行くこともなく、卒業式も出席しなかった。

不登校の原因は、何か一つの大きなものがあったというより、複合的なものだった。

思春期のバランスゆえか、体調も崩しがちで思い通りにならず、勉強や人間関係のプレッシャーに心もどんどん追い詰められていった。

体と心は繋がっている。その両方が互いに引っ張り合い、悪循環に陥っていった。

高校も、頑張って入学式には出席したものの、あとはほとんど通えず、まもなく自主退学した。

高校在学中、たまたま登校できた日がテストの日で、六限目の一科目、日本史だけを受け、点数は16点だった。

その後、担任の先生の勧めもあり、もともと通っていた高校の系列の通信制高校に再入学する(そのため、高校卒業の資格だけは貰えることになった)。

通信制でも、スクーリングの際に生徒と顔を合わせるのが恐怖で、学校の先生に相談し、時間をずらすなど、色々と特別に取り計らってもらった。

通信制高校に在籍していた頃、大学受験や大学進学(まして上京)などといった選択肢は全くなく、脳裏をかすめることもなかった。

その頃の僕は、病院に通院し、薬も色々と常用していたし、極めて近しい数人の幼なじみ以外とは話すことができなかった。カウンセリングに通っても、カウンセラーの前に座ると喉の奥がこわばって言葉が出てこないような状態だった。

ときどき幼なじみと外へ遊びに出かけることもあったが、大抵は部屋に鍵をかけてテレビゲームをしたり、ケータイをいじったり、テレビを見ている日々で、「学ぶ」という感覚すらすっかり忘れていた。

今さら大学受験と息巻いても、絶対に間に合わないし、到底不可能なことだと、受験という選択を最初から消し去っていた。

また、たとえ万一合格して大学進学が叶ったとしても、とても社会生活に馴染めるとも思えなかった。

大学受験を決めたきっかけ

転機が訪れたのは、通信制の三年を迎える春と、そして三年の夏だった。

春先、僕は通信制の高校の校舎 ── 小学校の隣にある三階建の無機質な建物 ── の教室で、一人スクーリングを受けていた。

スクーリングが終わると、突然担任の先生が、「卒業後、どうする?」と尋ねてきた。それから、「大学進学の選択もあるんだよ」と言い、高校のほうで推薦してくれる大学の一覧表を、職員室から持ってきて机に広げた。

僕は、目を背けたかった未来を具体的な形として突きつけられたような気がして、息苦しく、激しい動揺と不安に駆られ、思わずうつむき、曖昧で後ろ向きな返事を返した。

ただ、そのとき初めて、一切言葉としても存在しなかった「大学受験」「大学進学」という概念が、そういう道もあるんだ、という風に、うっすらと意識に刻み込まれたのだった。

そして、数ヶ月後の夏のこと。

すでに東京の大学に進学し、上京していた幼なじみが、夏休みに地元に帰ってきた際に、大学生活について話してくれた。

彼は、一通り学校の話を終えると、突然猛烈な「説得」をしてきた。「ほんとにこのままでもいいのか。大学の授業は自由だから、途中で息苦しくなったら教室を勝手に抜け出しても大丈夫だし。だからさ、大学受験、頑張ってみろよ」

元来彼はあまり他人に興味がない性格だったので、そんな風に強く言ってくれたことに驚いた。

そして、その突拍子もない誘いと熱意は、僕の心を、ほんの少しだけ、「やってみようかな」という気にさせた。

彼が再び東京に戻ったあと、部屋で一人ぼうっとしながら、僕はふと、こんな風に思った。

いったん、進学やその後の生活のことは考えないようにしよう。

大学受験も、重苦しく考えることはやめよう。「参加することに意義がある」と思って、できる範囲で、勉強だけでもしてみようかな、と。

受験勉強の開始

さっそく「大学受験」の意思を担任の先生に伝えると、「じゃあ、とりあえず模試を受けてみようか」と先生は言い、夏の終わりに校舎で模試を受けることになった。

高校生になって初めての模試だったので、久々の試験に、ちょっとだけ胸が躍った。

模試の結果、偏差値は39だった。

大学受験に関する情報を全く知らなかったので、ひとまず思いつきで列挙してみた志望校も、軒並みE判定だった。

ただ、一校だけ、地元の私立大学がD判定で、僕は、印字された「偏差値39」と「D判定」という英数字に、不思議と居場所を与えられたような安堵と喜びを覚えた。

そして、約半年のあいだの勉強期間を経て、一月のセンター試験では偏差値65に上がった。

結果として、無事に志望していた大学の一つに合格することができたのだった。

僕が行なった勉強法は、結果にこだわらない、頑張らない、過程を楽しむ、過程に意味がある、というものだ。

その考え方自体は、今でも間違っていなかったと思っている。

頑張らない勉強法、「教科を絞る」

具体的な方法としては、まず最初に、試験の日までの日数が「半年」と限られていたので「教科を絞る」、ということから始めた。

計画を立てず、やみくもに手探りで始めても、結局どれも中途半端でどっちつかずになりかねない。

そこで、最初の大きな見取り図として、一部公立を含めて私立を中心に、三教科で、自分の得意そうな(「得意」ではなく、「得意そうな」でよい)ものは何かと考えた。

以下は、僕の場合の具体例になる。

|国語

小説の『ハリーポッター』を読んでいたので、文章に対する抵抗はなかった。

決して文学少年ではなかったものの、純粋に興味もあり、きっと国語は大丈夫だろう、と思った。

| 英語

中学時代に一番得意だった教科で、また、近所のおじさんが、知り合いだけが通う数人の小さな英語塾を開いていたので通わせてもらおうと考えた。

| 政治・経済

学校に行っていなかったあいだ、よく祖母と一緒にテレビのちょっとバラエティ色の強い政治討論番組を観ていたので、政治に関する抵抗も薄いかなと思った。

こうして誰かと比較してどうというのではなく、非力でも、微力でもいいから、自分のなかの「武器」になりそうなものを絞っていった。

頑張らない勉強法、「勉強時間を絞る」

次に、「勉強時間」についても、二つの決め事を立てた。

一つ目は、勉強時間を教科ごとに「一ヶ月ずつ」絞って割り当てることだ。

たとえば、八月は政経、九月は英語、十月は国語(主に古文)といったように月ごとに集中させる。

絞ることによって目に見える形の「変化」が現れやすくなるので、「変化ができる」という実感から自信に繋がっていくのだ。

もう一つ、一日の勉強時間に関する決めごとも大事にした。

僕の場合、勉強するのは「主に午前中だけ」と決めた。

時間の整理をすることで、教科を絞る理由と同様、「ごちゃごちゃしていて気づいたら時間ばかりが過ぎていた」ということを避けることができる。

午前中、だいたい三時間程度、集中したらOKとする。

また、同時に「頑張らない」ことも大切にした。

心がまた壊れるのが怖かったし、「燃え尽き防止」を心がけよう、という意図もあった。

人生は大学受験以降も淡々と続いていくだろうし、適度な休息や生活リズムを大切にすることは、筋トレ(筋肉は休息を経て強くなる)と同じように、頭にとっても欠かせないものではないか、と考えた。

以上が、僕が不登校から大学受験という、長く不安な道に出る前につくった大まかな見取り図となる。

続いて、実際の勉強法について簡単に書いてみたいと思う。

具体的な勉強法

勉強法の具体的な中身、と言っても特別なことをしたわけではなく、セオリー通りのことを行うだけだ。

まずは、参考書を選ぶ。

実際に本屋に行ける場合は、書店の棚で幾つか立ち読みをし、「これは面白そうだな」と思った参考書や問題集を買う。

もちろんネットで買う場合はレビューを参考にしてもいいし、自分の直感で選ぶのも面白いと思う。

受験のきっかけをくれた幼なじみが、彼の使い古した参考書の類を箱いっぱいに部屋に置いていったものの、僕はほとんど使わなかった。

この受験勉強は「合格」が目的というよりも、「自分で歩きだしてみる」ということが大事だったので、自分で選んで揃えたいと思った。

次に、買った参考書を繰り返し読み、問題集を繰り返し解いていく。

シンプル・イズ・ベスト。

そのときも、細かく「勉強時間」を区切るようにした。

どういう風に区切るかと言うと、一ヶ月の最初の二週間は、「参考書を読む期間」と決める。

たとえば、九月の最初の二週間は、政治経済の参考書を一冊自分で選ぶ。午前中が主な勉強時間なので、午前中の三、四時間くらい、休憩をはさみながら、ただただ、その参考書を読み通していく。

この読みは、リラックスして行なってもOK。参考書は、少なくとも三周は読むようにする。

一週目は、とにかく新しい世界の知識なのでさっぱり分からないことばかりのなかを、気にせず、ずんずんと読み進めていくとよい。

薄ぼんやりと全体像がつかめればじゅうぶん合格点だ。

二週目は、なんとなく一週目よりも理解が進んでいるような気がすると思う。二度目でも分からない部分は付箋を貼っておく。付箋だらけになっても気にしないこと。

三周目は、付箋を貼ったページを中心に読み込んでいく。ノートにまとめてもよい。

これで九月の最初の二週間の任務は完了となる。

ちなみに、僕の頃は今のようにSNSやブログといったネットの繋がりがまだそれほど広がっていなかったのも、幸いだった気がする。

受験勉強期間も、ゲームは「テレビと向き合って一人でできるもの」を息抜きに行なっていた。

SNSやネット通信は、せっかくなのでなるべく遮断したほうがよいと思う。孤独に取り組むことに慣れることも強みになる。

参考書の次に、月の後半の二週間は、問題集の方を三週ほど繰り返すようにする。

僕自身、一週目は、ほとんど「ペケ」がつくものの、二週目には間違えも徐々に減っていった。

最後の三週目には、それでも間違った部分のみと、重点的に向き合うことにする。

基本的な流れは、英語も国語も同じだ。

大事なことは、やるべきことを絞っていくことと、頑張らないこと。そして、自分自身で楽しめるような仕組みをつくっていくこと。

ちなみに、英語の塾は、週に一回、二時間程度で、それほど熱心な先生ではなかったが、その緩さがちょうどよく、僕にとっての数少ない社交の場でもあった。

シュートに集中する

志望校や学部については、ぼんやりと幾つか候補はあったものの、あまり執着はしないようにした。

僕は、小学校、中学校とバスケ部に所属していたのだが、シュートというのは「決めよう」と思うと入らない。「決めよう」という余計な力みによってフォームは乱れ、シュートは失敗に終わる。

むしろ、柔らかく膝を曲げ、ゴールの方向を見て、利き手で打ち切る。

その「シュート」という一連の動作そのものに集中する。指先からボールが離れたら、あとはもうコントロールできない。

しかし、この「コントロールできる部分」さえしっかりできるようなら、ボールは自然にネットに吸い込まれていく(もちろん、その前の反復練習は大事だ)。

だから、あまり志望校云々に執着せず、余計なことは考えないようにした。

勉強も、柔らかく膝を曲げ、ゴールの方向を見て、利き手で打ち切ることに集中しよう、と思った。

試験までの過ごし方

以上のようなことを心がけ、三教科とも終えた十一月の段階で、偏差値は50代に到達した。

教科によっては、60を越えているものもあった。

あとは、十一月、十二月に、足りないと思った部分を補い、冬の寒い日々が続く十二月の後半からは、センター試験の過去問題を一日に一回ずつ取り組んだ。

過去問をひたすら解いては答え合わせをする、ということを続けた。

僕は、人前や閉鎖的な空間では緊張や不安で体調を崩すことが多く、発作症状が心配だった。

試験当日も、緊張も相まって体調が悪化するかもしれない、と容易に予想がつく。

だから、たとえ調子が酷かったとしても、それなりに点数がとれるように(万が一、一日だけ、二科目しか受けられなかったとしても、あるいは途中で退室したとしても、どこかの大学に引っかかるように)、ただただ反復を繰り返した。

一方で、試験の前々日くらいで勉強に手をつけるのはほとんどやめた。

頭を休息させ、リラックスして過ごし、心身に休息を与えた(できれば食事も少食を心がけたほうがよい)。

試験の当日は、例年のごとく雪が降って寒く、体調も決していいとは言えなかったものの、センター試験では、無事成果を出しきり、志望大学の一つに合格することができた。

以上、今はもしかしたら大学受験の制度も変わっているかもしれないが、基本的な「勉強法」のスタイルは応用が可能だと思う。

支えになったもの

大学受験に当たっては、家族の支えが僕にとっては欠かせないものだった。

支えと言っても、塾の送り迎えや、夜食を熱心に作ってくれたといった話ではなく、この数ヶ月のあいだ、「何もしないでいてくれた」ということが本当に支えになったのだ。

あの頃の僕は、ただでさえ病院に通っているほどだったことに加えて、受験も重なり、極めて神経質でナーバスになっていた。

ちょっとでも気張ったり、未来を想像すると、たちまち崩れていきそうだったので、頑張らないようにしよう、大学進学後のことや、一人暮らしのことは考えないようにしよう、今、自分のやるべきことに集中しよう、と言い聞かせていた。

そのナーバスな僕を気遣って、家族は、「勉強どう?」など、現実に引き戻すような言葉や態度を、半年間ずっと、一切表に出さないでくれた。

あの夏、幼なじみが説得してくれたこと、そして、家族の理解があったことが、僕の大学受験という選択と、合格という結果にとって不可欠な要素であったことは間違いない。

その後、東京都内の大学を無事四年で卒業できた。様々な世界に触れ、かけがえのない出会いもあった。

今も繋がりの続く親友、初めての恋人や花火デート、彼女のバイトが残業で夜遅く傘を持って迎えに行ったこともあった。

笑顔で駆け寄ってくる彼女の表情を今でも覚えている。

東北や九州に一人旅に行ったこともあった。

書ききれないほどの、抱えきれないほどの、沢山の思い出ができた。

中学や高校よりもずっと自由な、ゆとりのある「大学」の雰囲気のおかげで僕のような人間でも通うことができた。

あのとき踏み出してよかった、ほんとうに行ってよかった、と今では自信を持って言うことができる。

それはこの先ずっと変わることはないと思う。

終わりに

ひきこもりと一言で言っても、事情も範囲も千差万別なので、幼なじみのように強くは言えない。

今はじっくり休むとき、という場合もあるかもしれない。

また、大学に行かずに、自分で何かを始める、というのもありだし、何もしない時間も大事だし、何かにのめり込んでいる時期も大事だと思う。

だから、一つの選択として、ふと「大学に行きたいな」という気になったときにでも、思い出して参考にしてもらえたら、と思う。

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桜のきれいな町に住んでいるピエロです。