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アインシュタインと日本人
棚に並んだ本のタイトルで、ふと気になったのが『アインシュタインの旅行日記』。本の副題には、日本・パレスチナ・スペインとある。
アインシュタインと言えば、「相対性理論」で有名な誰もが知っている世界的な科学者で、「二十世紀最高の物理学者」。
出身はドイツで、1921年にはノーベル物理学賞も受賞している。
と言っても、僕は「相対性理論」のことはさっぱり。ただ、書棚から取り、ぱらぱらと読んでみると、別に難解な化学式が出てくるわけでもなく、アインシュタインの巧みな描写力でシンプルに旅日記として面白い一冊だった。
本の解説によれば、アインシュタインは、1922年に旅行し、その際、妻エルザと一緒に43日間に渡って日本に滞在している。
日本の出版社「改造社」の創業者、山本実彦に招待され、アインシュタインは日本行きを決めたそうだ。
ギリシャ生まれの記者で、日本の民族学者となったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が綴っている「おとぎ話のような小さな家と小さな小人たちの国」という、異国情緒溢れる神秘的な世界が真実かどうか実際にこの目で確認したかった、というのがアインシュタインが日本を訪れた大きな理由だったと言う。
この『アインシュタインの旅行日記』では、日本を含め複数地域にまたがった旅行中の日記が、解説や写真資料などともに掲載され、日本や日本人に関し、よく観察し、また絶賛もしている。
以下、日本の風土や日本人の個性に対する感想について、アインシュタインの旅日記を引用しながら紹介したいと思う。
滞在と感想
アインシュタインが、最初に日本人と接触したのは、1909年のことだった。
当時、物理学の学生の桑木彧雄とベルンで会ったのが、アインシュタインにとって初めて出会う日本人だった。
また、翌年、日本の物理学者、石原純が書いた相対性理論に関する論文についても賞賛し、旅以前からアインシュタインは日本との繋がりが少なからずあったようだ。
ただ、訪日前は、必ずしも日本に対し、好印象ばかりだったわけではなかった。
訪日の条件などで交渉した際には、日本人のことを「まさに信用できない」とアインシュタインは語り、船旅の途中、日本人男性が披露した歌が奇妙で幻滅した様子も日記に綴られている。
昨晩、日本人たちが自発的にショーを披露。歌を歌った男性は、しっぽを踏まれた雄ネコみたいに悲しげに鳴いてみせた。
おまけに彼は時々フレットの狭いギターみたいな楽器に合わせながら、激しく動いて全体をリードしていたが、楽器が奏でている曲と彼の単調な歌は無関係のようだった。(1922年、10月31日)
出典 :『アインシュタイン旅行日記』
どうも日本人男性の披露した歌が、アインシュタインにとっては、曲と歌の合っていない、不気味なものに映ったようだった。
数日後の日記でも、アインシュタインが結構「引いた」ことが伝わってくる記述がある。
日本人の心理を理解するのは困難だ。私は日本人の歌があんなに訳がわからなかったので、日本人を理解しようと思わなくなった。昨日、他の日本人がまた歌っていたので目がくらんでしまった。(1922年、11月3日)
出典 : 『アインシュタイン旅行日記』
しかし、このときは船旅で疲れて気分的に不安定だったのか、それともよほど実際の日本が魅力的だったのか、その後、日本に到着してからの自然の景色や文化、日本人の歓待によって、一転してアインシュタインは絶賛を始める。
緑の小島が無数に浮かぶ日本の海峡を通過。絶えず変化するフィヨルド風の素晴らしい景観。十七日午後、神戸着。
(中略)
晩に、教授たちと二時間の列車の旅。軽快な車両。乗客たちは窓沿いに長く二列に座っている。京都では、通りや、小さくて感じのいい家々が魔法のような光に照らされている。少し高いところにあるホテルまで車で行く。
下の町はまるで光の海。強烈な印象。愛くるしくて小柄な人たちが、通りを早足でカタカタ歩いている。ホテルは大きな木造建築。みんなで食事。狭い個室に、華奢で上品なウェイトレスたち。日本は簡素で上品、とても好ましい。(1922年、11月16、17日)
出典 : 『アインシュタイン旅行日記』
私たちは車で壮麗な仏教寺院に行った。僧侶たちの食堂を一瞥。すばらしい木彫りのある見事な建物。僧侶はとても親切で、美術館の図版・写真が入った豪華本を贈呈してくれた。
出典 : 『アインシュタイン旅行日記』
上品な律動と色彩を帯びた見事な日本の昔の絵画。日本人の心が美しい証拠。
出典 :『アインシュタイン旅行日記』
日本人はイタリア人と気性が似ているが、日本人のほうが洗練されているし、今も芸術的伝統が染みこんでいる。神経質ではなくユーモアたっぷり。
出典 :『アインシュタイン旅行日記』
皮肉や疑念とはまったく無縁な純然たる尊敬の心は日本人の特徴だ。純粋な心は、他のどこの人々にも見られない。みんなが国を愛して尊敬すべきだ。
出典 :『アインシュタイン旅行日記』
日本人の一人一人との触れ合いや、自然の風景、また、芸術や歴史建造物などの文化と接しながら、アインシュタインは日本に対する思い入れを強めていく。
アインシュタインは、この日記以外にも、1923年に公表された『日本の印象についておしゃべり』で、日本に対する好意的な感想を綴り、その文章でも、日本の「芸術」というものを賞賛している。
日本では芸術から、他のどの国でも不可能なほどとても豊かな、そして多様な印象を得ることができます。私が「芸術」と言っているのは、人間の手が美的な意図を抱いて、あるいはそれに準ずる意図を抱いて創り続けていく永続的なことすべてです。
この点に関して私は驚嘆を禁じえません。自然と人間が、ここ以外のどこにもないほど一体化しているように思えるのです。この国から生まれるものはすべて愛くるしくて陽気で、決して抽象的・形而上学的ではなく、常に自然を通じて生まれてくる現実と結びついています。
緑の小島や丘の風景も愛くるしいし、樹木も愛くるしく、小さな区画に綿密に分割され綿密に耕されている畑も愛くるしければ、特にその横に建っている小さな家々も愛くるしい。そして最後になりましたが日本人自身、その言葉、その動き、その服装、そして日本人が使っているあらゆる用具・家具類すべてが愛くるしいのです。
とりわけ気に入ったのは日本の家で、そこには、いろいろな用途の滑らかな壁や、マットが柔らかく敷かれたいろいろな小部屋があるのです。あらゆる細かなものにも意味があるのです。
出典 : 『アインシュタイン旅行日記』
変な歌を聞き、日本人のことなど、もう理解しようとも思わない、と綴っていたアインシュタインが嘘のように絶賛している。
そして、さすがアインシュタインという明察な観察眼で、日本人の芸術や暮らしの道具の根底に「自然との一体化」があり、あらゆるものが、「自然を通じて生まれてくる現実」と結びついている、と指摘する。
アインシュタインの絶賛はまだまだ続く。
よく日本人にはユーモアが足りないと言われるが、日本人のユーモアもアインシュタインは気に入ったようだ。
日本人は将来に生きるのではなく、今を生きているのです。その陽気さは繊細で、決して騒がしくありません。日本人のジョークは私たちにはすぐわかります。彼らにも滑稽さやユーモアに対するセンスはたっぷりあります。
私は、こうした心理的に深いところで日本人とヨーロッパ人のあいだにさほど差がないことを確認して驚いています。ただしここでも日本人の優しさに気づきます。日本人のジョークには皮肉がないのです。
出典 : 『アインシュタイン旅行日記』
もちろん絶賛ばかりではなく、疑問も抱いたようで、その一つは、知的好奇心がそれほど優先されていないのではないか、ということだった。
日本人は、「知的好奇心」よりも、「芸術的探究心」のほうが強いのだろう、とアインシュタインは綴っている。
それでも、決してこのことは悪いことばかりではなく、西洋化を進める日本にあって、芸術や生活、簡素さといった「大いなる宝」については守っていて欲しいという願いで文章が結ばれている。
気になっていることが一つあります。日本人は正当にも西洋の知的業績に感嘆し、成功と大いなる理想をめざして科学に没頭しています。
しかし西洋より優れている点、つまりは芸術的な生活、個人的な要望の簡素さと謙虚さ、そして日本人の心の純粋さと落ち着き、以上の大いなる宝を純粋に保持し続けることを忘れないでほしいのです。
出典 : 『アインシュタイン旅行日記』
