立原道造の随筆
立原道造は、昭和を代表する抒情詩人の一人だ。
若くして亡くなった立原道造の作品や手紙を読んでいると、この叙情的な感性と、彼の建築家でもあったゆえかの建造物的な文体なら、年齢を重ねてから随筆やエッセイ、童話のような空間でもずいぶんと力を発揮しただろうなと思う。
むしろ、散文的な文章世界で本格的に作家として完熟したかもしれない。
立原道造には、随筆があるのだろうか、と調べてみたら、『夏秋表(『日本の名随筆18 夏』収録)』という作品があった。
この随筆は、青空文庫でも掲載されている。
夏のあいだ、私は忘れるとなしに彼のことを忘れていた。幾たびも物がなしい夕ぐれに出会い、そのようなおりに私は彼のことを思い出さねばならなかった筈である。しかし私はすっかり忘れ果てていた。
もう一つ、僕は読んだことはないが、物語調の詩として、『鮎の歌』という作品集もあるようだ。
「いつか私は書かうと思つてゐた、出来事の多い物語を。それもなるべくは美しい色どりばかりで、恵みあるあかりの下に読みかへされるならば、意味ふかくあらゆる官能に浄らかな歓喜が湧きおこる。」
ある日風になった青年、アンリエットとその村、吟遊詩人のレクイエム、月のめえるへん、そして鮎と名づけられたひとりの少女との出会いと別れ——26歳で夭逝した立原道造が生前に出版を企てていた物語集が、本書『鮎の歌』である。
もう少し長生きしていたら、もちろん建築家としても大成したかもしれないし、童話や絵本原作といった文章作品も、数多く残していたのではないかな、という気がする。
立原道造の建築家としての足跡としては、彼が構想していた美しい小屋「ヒアシンスハウス」がある。
