星野道夫の名言
星野道夫は、1952年に生まれ、アラスカの地に惹かれたことをきっかけにアラスカ大学に入学。
アラスカの地で、カリブーやグリズリーといった野生動物や、その地で暮らす人々の写真を撮影した写真家として知られる。
星野が通っていたアラスカ大学フェアバンクス校周辺
しかし、1996年、星野道夫はテレビ番組の取材で訪れていたロシアのカムチャッカ半島南部のクリル湖畔で、ヒグマに襲われ、43歳という若さで亡くなる。
彼は、写真家だけでなく、文章家としても、情景が浮かぶ美しい文章を数多く残している(写真については、星野道夫公式サイトのギャラリーにて掲載されている)。
この記事では、星野道夫の残した言葉から、素敵な、また考えさせられる名言を紹介したいと思う。
人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。
出典 : 星野道夫『旅をする木』
新緑の季節が終わり、アラスカの初夏の訪れの頃、季節の移り変わりに、心が優しく和む。
些細なことで傷つき、心を左右される一方で、ひとはこの自然のささやかな贈り物で、こんなにも豊かになれる。
その不思議なほどの浅さゆえに、人は生きていける。
人と出会い、その人間を好きになればなるほど、風景は広がりと深さをもってゆきます。やはり世界は無限の広がりを内包していると思いたいものです。
出典 : 星野道夫『旅をする木』
深い森の中にいると川の流れをじっと見つめているような、不思議な心の安定感が得られるのはなぜだろう。ひと粒の雨が、川の流れとなりやがて大海に注いでゆくように、私たちもまた、無窮の時の流れの中では、ひと粒の雨のような一生を生きているに過ぎない。川の流れに綿々とつながってゆくその永遠性を人間に取り戻させ、私たちの小さな自我を何かにゆだねさせてくれるのだ。それは物語という言葉に置きかえてもよい。
出典 : 星野道夫『森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて』
人間がもし本当に知りたいことを知ってしまったら、私たちは生きてゆく力を得るのだろうか。それとも失ってゆくのだろうか。そのことを知ろうとする想いが人間を支えながら、それが知り得ないことで私たちは生かされているのではないだろうか。
出典 : 星野道夫『森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて』
自然科学は私たちが誰であるのかをたしかに解き明かしつつある。それなのに、科学の知はなぜか私たちと世界とのつながりを語ってはくれない。それどころか、世界は自己から切り離され、対象化され、精神的な豊かさからどんどん遠ざかってゆく。私たちは、人間の存在を宇宙の中で位置づけるため、神話の力を必要としているのかもしれない。
出典 : 星野道夫『アークティック・オデッセイ 遥かなる極北の記憶』
人は生きているかぎり、夢に向かって進んで行く。夢は完成することはない。しかし、たとえ志なかばにして倒れても、もしその時まで全力を尽して走りきったならば、その人の一生は完結しうるのではないだろうか。
出典 : 星野道夫『アラスカ 光と風』
子どものころに見た風景が、ずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとある。
出典 : 星野道夫『長い旅の途上』