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前へならえと小さく前へならえとは

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前へならえと小さく前へならえとは

もしかしたら今はもう廃止している学校もあるのかもしれないが、子供の頃、小学校や中学校の体育の時間などでよく行なわれた整列指導の一つに、「前へならえ」があった。

表記としては、「前ならえ」なのか「前にならえ」なのか「前へならえ」なのか、と悩む。

辞書では、漢字で書いて「前へならえ」とあり、新聞の見出しでも「前へならえ」とあるので、正確には「前へならえ」が正しい表記なのだろう。

いずれにせよ同じ意味で、「前にいる人にならえ」という整列のときの号令である。

前ならえ前へならえの状態

まず、「気をつけ」と号令があり、次に「前へならえ」と言われたら、一番前の人は手を腰にやり、以降、後ろの人は手をまっすぐ伸ばし、距離感を保つ。

その後、「なおれ」と号令がかかったら、気をつけに戻り、「休め」と言われたら、手を後ろに回し、左足を肩幅程度に開く。

前へ倣え画像 : 集団行動

このあと、再び「気をつけ」と号令がかかったら、気をつけの姿勢になり、「礼」と言われたら綺麗に礼をする。

その他、「回れ右」という場合もある。

学校で前へならえを行う意味としては、集団行動における規律を体で覚えさせる、という理由があると考えられる。

この慣習は、一体いつから行われているのだろう。

前へならえの由来は、幕末に近代的な軍隊を組織した韮山代官による、オランダ語の号令の翻訳に遡る。

前へならえの号令は、幕末に近代的な軍隊「農兵」を組織した韮山代官の江川太郎左衛門英龍(坦庵)がオランダ語の号令を翻訳したのが始まりとされる。

出典 : 静岡)「前へならえ」で写真投稿を 発祥の地で企画

農兵は農民に砲術、武術を習わせ、非常時にその力を役立てようというもので、坦庵は早くからこの制度の必要性を幕府に訴えていました。「気をつけ、 前へならえ」「右向け、右」などの号令はオランダ式の号令を坦庵が翻訳させ、 日本人にわかりやすいように工夫したものです。

出典 : 韮山反射炉の構造 – 伊豆の国市

学校教育に活用されるようになったのがいつからかはちょっとわからなかった。

最初に、すでに廃止されているのかもしれないが、と書いたが、数年前のニュースの動画を見るかぎり、現在でも行なわれているようだ。

動画 : 「前へならえ」発祥の地で整列 韮山代官所跡

この「前へならえ」は、適度に間隔をもって整列する、という点でまだ意味はわかるが、もう一つ、「小さく前へならえ」という号令もあり、あれは今考えても、どんな意味があったのかよくわからない。

小さく前へならえ、と言われたら、腕を縮めた前へならえの姿勢をとる。

画像 : 小さく前にならえ  規律のある体育ローテーション

こうした指導は、あまり海外の学校では行なわれず、学校教育で取り入れている、というのは日本独特のもの(あとは北朝鮮くらい、という声もある)なのではないかと言われている。

分かりやすいのが、日本中の学校で当たり前のように行われる「前ならえ」や「気をつけ」だ。

ご存じのように、これは兵隊に叩き込む軍隊的所作で、学校の授業に取り入れている国は北朝鮮などを除いてほとんどない。クラス全体でマスゲームのように一糸乱れぬ動きをするのは、学校教育とまったく関係がない、というのが世界の常識なのだ。

しかし、日本では極めて大事な教育とされる。

出典 : 「新人は白シャツ」「ツーブロック禁止」 会社や学校で、“謎ルール”が存在している事情

実際、アメリカでは子供たちへの「前へならえ」の指導はないようだ。

アメリカの場合だと、行進の練習どころか「前ならえ」「小さく前ならえ」「気をつけ」「休め」とかですら、一度もやりません。その後私はアメリカで子育てをしましたが、子供らも一度も体験しませんでした。

長男は高校からマーチングバンド部に入ったので、そこで初めて行進を習いましたが、これが例えば野球部だったら絶対にやらなかったでしょう。アメリカで教育を受けると、マーチングバンド部か軍隊に入らない限り、行進の練習は一生することがありません。

出典 : 日本の学校は軍隊と大差ありません

ちなみに、体育座り(これは戦後に文科省が推奨したようで、実際には体によくないという指摘もある)を学校で行わせる、という習慣も、海外には存在しないと言う。

フランス、イギリスなどにはなかったです。体育座りのかわりに、先生が『きちんと座って下さい』と言ったら、あぐらをかきます。

出典 :「体育座りって何ですか?」外国人が驚いた日本だけ通じる学校の常識

フランスやイギリスでは体育座りの指導はなく、普通にあぐらで座る。これは韓国でも同じだと言う。

確かに、海外の映像で、「前へならえ」や「体育座り」をしている子供たち、という光景を見たことはないように思う。

子供の頃は思いもしなかったが、客観的に見ると、意味がない、集団主義的で気持ち悪い、といった声があるのも分かる気もする。

日本式の教育は、先生の言うことに従う、全体の規律を重んじる、という点では効率的でメリットもあるのかもしれない。

一方で、各々の個性という点では、デメリット(みんなと同じことをしなければ、という同調圧力や、前例踏襲主義の悪循環をいっそう強める)も少なくないのではないかとも思う。

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