名言

坂口安吾『堕落論』の名言

坂口安吾『堕落論』の名言

先日、坂口安吾の『堕落論』の感想を書いたので、今度は、書ききれなかった好きな一節、印象的な一文として、私選坂口安吾の『堕落論』の名言や考えさせられる言葉を紹介したいと思う。

私は血を見ることが非常に嫌いで、いつか私の眼前で自動車が衝突したとき、私はクルリと振向いて逃げだしていた。けれども、私は偉大な破壊が好きであった。私は爆弾や焼夷弾しょういだんおののきながら、狂暴な破壊にはげしく亢奮こうふんしていたが、それにも拘らず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする。

けれども私は偉大な破壊を愛していた。運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。

堕落ということの驚くべき平凡さや平凡な当然さに比べると、あのすさまじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間達の美しさも、泡沫ほうまつのような虚しい幻影にすぎないという気持がする。

堕落の平凡な跫音あしおと、ただ打ちよせる波のようなその当然な跫音に気づくとき、人為の卑小さ、人為によって保ち得た処女の純潔の卑小さなどは泡沫の如き虚しい幻像にすぎないことを見出さずにいられない。

歴史という生き物の巨大さと同様に人間自体も驚くほど巨大だ。生きるという事は実に唯一の不思議である。

私はおののきながら、然し、惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。私は考える必要がなかった。そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ。(…….)私は一人の馬鹿であった。最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。

人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱ぜいじゃくであり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。

人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本もまた堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。

出典 : 坂口安吾『堕落論』

人間は堕落する。生きていれば堕落する。たとえ、美しいままで死んでいきたいと若いうちの自死を選んだとしても、人間全体は生き続けるわけで、堕落は避けられない。

自分自身を救うためには、正しく堕ちる道を堕ちきる必要がある、と坂口安吾は語る。

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Ruri
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桜のきれいな町に住んでいるのんびりしたいピエロです。映画と読書、その他、色々と好きです。