岩井俊二『四月物語』の結末とモデル
岩井俊二監督の初期の代表作に、一九九八年公開で松たか子さん主演の『四月物語』がある。
桜の季節、四月に北海道から上京し、一人暮らしを始める主人公の卯月。卯月は、武蔵野大学(当時は同名の大学はなく、架空の大学で、ロケ地は成蹊大学と白鷗大学)に入学した大学生。
彼女が、わざわざ上京し、武蔵野大学に入った理由は、高校時代に片想いをしていた先輩を追いかけるためだった。
そして、後輩から聞いた先輩のアルバイト先の本屋に卯月が行く、という淡い春の恋物語。
上映時間は一時間ちょっとで、ラストも、それほど大きな結末が待っているわけでもなく、最後は、卯月が、その先輩のバイト先の本屋から帰るときに大雨が降り、「傘貸すよ」と言う先輩に、「大丈夫です」と言って一度は帰りに向かう。
しかし、途中で雨宿りをしているとき、たまたま建物から出てきたおじさんに傘を借りると再び本屋に引き返し、先輩に、「やっぱり傘を貸してください」と言う。
壊れた赤い傘を借り、先ほど貸してくれたおじさんに傘を返し、映画はエンディングを迎える。
なにもない結末ゆえに、その日常性の美しさが際立っている。
田辺誠一演じる先輩が、卯月に貸そうとする傘が、どれも壊れているのに対し、最初に受け取った壊れた赤い傘(数本の傘から卯月が選び、「当たり、それ、選ぶと思った」と先輩が言う)を差しながら、「これでいいです、これがいいです」と卯月が言うシーンも、とても詩的だと思う。
この詩情に溢れる映画の主人公である卯月には、実は意外なモデルがいた。
それは、ビートルズのジョン・レノンを殺し、『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデン・コールフィールドにのめり込んでいた(殺害後、警官がたどり着くまでのあいだも、現場付近で『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいた)、マーク・チャップマンである。
このことは、岩井俊二監督と、アニメ監督で岩井監督に多大な影響を受けたと公言している新海誠監督の対談のなかで語られている。
ライ麦畑って言うと思い出されるのが、ジョン・レノンを殺した男で、『リリイ・シュシュのすべて』の冒頭でもちらっと出てくるんですけど、マーク・ディヴィッド・チャップマンという男が、ジョン・レノンを殺害して、そのとき持っていたのが、『ライ麦畑でつかまえて』。
チャップマンのルポルタージュだったんですよ。ハワイにいて、島から出てきて、ニューヨークのダコタハウスの前に二週間くらい張り込んで、最後殺害に至る、その妙な一週間二週間の彼の行動が、すごく映画的で、こういうものを映画にしたいなと思った時期があったんですね。
最初その発想から色々考えてて、シミュレーションしていくなかで、これ殺人事件じゃなくて、もっと普通の日常話でやったらどうなのかな、と思って思いついたのが、『四月物語』なんですよ。
あの松さんがやった女の子のモデルはチャップマンなんですよ。(岩井俊二)
出典 : 岩井俊二×新海誠 対談
マーク・チャップマンを、日常で描くと『四月物語』になる、というその発想の飛躍に岩井監督の天才性を感じる。
岩井俊二『四月物語』 予告編
